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昭和の前掛けバッグ
いつの事だったか忘れたが、私は友人に会うために神奈川県の大船を訪れていた。待ち合わせの時間より早く着き、一軒の古道具屋に立ち寄った。私はそこで古い電気スタンドを見つけ購入し(これはすぐに壊れてしまった)、店を出ようとした時、店内の暗がりにトートバッグがかかっているのが目に映った。それは帆布の前掛けを縫い合わせてカバンにしたものだった。私は気に入って購入し、妻に贈ることにした。
自宅に戻ってからも、使い込まれた帆布の質感と、カバンとしての作りの簡素さをとても気に入っていた。そこで私は、店に電話をかけ、「あの前掛けで作ったカバンは、他にもっとありませんかね。」と聞いてみた。しかし答えは、「それを縫った人がもういないから、作れない。」だった。
そこで私は、カバンがどのように作られているのかを調べてみた。前掛けを半分に折って、両脇を縫い合わせる。布の両端をかがって、そこに腰紐を縫い付けているだけの、とてもシンプルなものだ。「これならできる。」と私は思った。
私は蚤の市や古道具屋を巡り、前掛けを探し集めた。元々は店舗での作業用として作られた帆布製の丈夫なものなので、ほとんどが状態に問題のないものだった。そして私はミシンを使い、一つ一つカバンを縫い上げた。
『尾張名所図会』(1844(天保15))より「瀬戸陶器職場其二」一部抜粋(国立国会図書館デジタルコレクションより)
上図は江戸時代末期の愛知県瀬戸における製陶現場である。絵の左側で作業する二人が前掛けをしているのが見えることから、江戸時代には普及していたようだ。明治に入ってから、屋号が染め抜かれるようになり、大正、昭和を通して人々に使われた。戦後になると、染色方法が藍染めから硫化染めに変わったことで作業効率が上がり、1950年代から60年代にかけての最盛期には年間300万枚ほど生産されるにいたった。
しかし、1970年代に入り、前掛けの生産が減少に転じた。社名やロゴを染め抜いた広告宣伝ツールであった前掛けが、テレビの普及によって、テレビCMに取って代わられたのだ。
太い綿糸で織られた前掛けは、重い荷物との摩擦にも耐えることができた。腰を紐でしばることで、荷物を運ぶための力も入りやすかったことだろう。その丈夫さのおかげで、私は倉庫に眠っていたであろう前掛けをもう一度、カバンとして甦らせることができた。
新しい時代「令和」を迎えた瞬間、「昭和」という言葉は古さを持って、私の眼前に立ち現れた。昭和生まれの私は、青春を過ごしたその時期が時間の果てに去っていくような、これまでに感じたことのない種類の寂しさに襲われた。「時代に古色がつく」という言葉を私は身をもって知ることになった。
参考文献:天野武弘 2017「豊橋帆前掛け製造技術の歴史と現状」『中部の経済と社会』愛知大学中部地方産業研究所